病気は家族へのメッセージ

はじめに

2010年7月、父が進行性のすい臓がんと診断されました。手術は不可能で、抗がん剤で治療して平均余命が13ヵ月とのこと・・・。そう聞いてショックでしたが、父の病歴を考えると起こるべくして起きたのかもと思いました。
   それは過去に喉頭がん、心筋梗塞、脳梗塞、大動脈瘤(血管に出来るこぶ)破裂の危険性など、数々の命に関わる病気にかかってきたからです。

父は非常にポジティブで、「私は何回も大病をして不死鳥のようによみがえって来たから、今回のがんも大丈夫」と言います・・・。しかし、家族は余命13ヶ月と聞いて真剣に考えはじめました。

まず、どのような治療法があるのかを手分けして調べ、その中から父が受けたい治療法を選択し、それを家族で支えていくことにしました。父は抗がん剤、漢方薬、SOD、免疫療法、量子医学、東洋医学、エネルギー調整など数種類の治療を受けながら、食事を変え、運動を始め、ストレスを減らすことに取り組みはじめました。

実際に始めてみるといろいろと戸惑うことがありました。私は、東洋医学を信頼していますが、父は、命のかかる病気になると西洋医学を信頼しているようです。父はセカンドオピニオンを聞くのは、なんとなく主治医に悪いと思うようですが、私は当たり前だと思っています。
   弟はシェフなので、食事と病気の関係に気を配りますが、父はあまり気にしません。
   妹は、自分が病気になるとインターネットで詳しく調べてから病院に行き、お医者さんにどんどん質問しますが、父はお医者さん任せ・・・。

親子、兄弟でも価値観が違う人間が、命がかかった病気に取り組むと、真剣が故に意見の食い違いでぶつかり、もめることが多くなってきました。そんなときは、いつも母が仲裁役を務めてくれました。

父が病気になったことで、家族はいろいろなことを調べ実践してきました。
それを通じて家族の絆が深まったと思います。10年たった今振り返ると、父がガンになってくれたおかげで、色々なことを学ばせてもらった気がします。

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第1章 がんが見つかる

がんが見つかる

2010年7月のことです。80歳の父の体重が3ヶ月で10キロ減り、よく腹痛を感じるようになりました。それを主治医に伝えると、極端な体重減少はがんの可能性もあると言われ、ただちに検査入院した結果すい臓がんが発見されました。
   がんの検査をした消化器内科の医師からは、「進行性のすい臓がんでステージ3です。がんがすい臓の外にまで広がり、近くの血管を巻き込んでいるので手術はできません。一般的には抗がん剤で治療をします。副作用を考えて、治療をしないという選択もあります」と言われました。

「すい臓がんの原因は何ですか」とたずねると、「がんは日常の生活習慣が影響しています。タバコ、油、肉の取り過ぎなどががんの原因になります」との説明でした。父は毎日1箱のタバコを50年間吸ってきました。また美食家で、こってりした美味しいものが大好きです。

父が「抗がん剤治療をしないという選択をしたらどうなりますか?」とたずねると「つらい症状は抗がん剤治療をする、しないに関わらず必ず出てきます。治療をしないことでがんが大きくなると、食事が食べられなくなって症状が悪化する可能性もあります。治療をしたほうが寿命は長くなると考えられます.今のがんの状態で、抗がん剤治療をしたときの平均余命は13ヶ月です。ですから、抗がん剤で治療をするかしないかを考えておいて下さい」と言われました。

父は、「自分はまだ生きたいし、やりたいこともある。これまでに3回も命に関わる病気になって回復してきたので、今回も大丈夫だろう」とポジティブに考えていました。
   抗がん剤治療については数日考えたあとで、「一般的には抗がん剤で治療をしていくのならそうするか」と言います。しかし、私は東洋医学の治療で免疫力を高め、がんを改善してほしいと思っていました。

ガンを改善しつつある友人との会話

その頃、友人が末期がんを克服しつつあると聞きました。そこで、参考になることがあるかもしれない、と思って話を聞きに行きました。
   彼は3年前に、非常に進行が早い末期の胃がんが、肝臓に転移した状態で発見されました。医師からは、「消化管間質腫瘍(Gastro Intestinal Stronel Tumor=GIST)という、10万人に2人しかかからない難しいがんで余命は半年」と宣告されたとのこと。3年後の現在、がんは退縮して元気に仕事をしています。

「どのような治療を受けて治ったのか教えて頂けませんか」
「初めの2年間は抗がん剤治療を受けていました。その後、抗がん剤治療をやめて、体のエネルギーの調和をとる方法を始めました」
「抗がん剤治療を受けているときに、何かされたことはありますか」
「まず抗がん剤ががんを改善してくれることに感謝しました。また、ある装置を使って抗がん剤の副作用を減らすことをしました」

治療以外にやったこと

「治療以外に何かやられたことはありますか」
「まず家族にお礼とおわびをしました。次に今までやってきたこと、ほっておいたことを見つめ直して、必要なものはやるし不必要なものはやめることにしました」
「なぜそうされたのですか」
「余命半年と言われたので覚悟を決め身辺を整理して、死ぬための準備をはじめたのですが、結果として生きるための準備をしていたようです」
「それはどういう意味ですか」
「死ぬための準備をしていくうちに、『今までがんになるような生き方をしてきた』と気づきました。そこで、『これからはがんにならない生き方をしていこう』と思いました」
「なるほど、それはすごいですね。私の父は抗がん剤治療を希望しています。私は東洋医学の治療で免疫力を高めて、がんを治してほしいと思っています。どうしたら父にそれが伝わると思いますか」
「お父さんはあと13ヶ月の命と言われたのですよねえ」
「ええ、抗がん剤で治療をして平均余命が13ヶ月だと言われました」
「それをお父さんの問題とは考えずに、自分があと13ヶ月の命だと宣告されたらどうしますか」

そう言われて「ハッ」としました。もし自分が余命13ヶ月と言われたら、悔いが残らないように自分のやりたい治療をすると思ったからです。

父親のがんと向き合った友人の話

もう1人の女性の友人は、父親をがんで亡くされました。そのとき父親とどう向き合ったのか、ということについて話をしてくれました。

「お父さんががんとわかってから、何かされたことはありますか」
「父が余命1ヶ月と言われたとき、あいまいなことはやめて毎日を必死に生きていこうと決意しました。また、本当の自分の気持ちを伝えました」
「私は父に何かしてあげたいと思っています。それに対して何かアドバイスはありますか」
「何かしてあげようという考えは、若林さんから見たアプローチで、お父さんがしてほしいことではないですよねえ」
「でも、父のしてほしいことが何かよくわからないのですが」
「お父さんの本質は何を望んでいるのだろう?と感じて実践していくことが、お父さんが本当にしてほしいことではないですか。また物事の本質を見ていくと、人に何かを『してあげる』ではなくて『させていだく』ではないでしょうか。若林さんはお父さんに対して上から下目線で、何かしてあげようと思っていませんか。それは謙虚さが足りないような気がします」
「そう言われると返す言葉がありません」
「お父さんは、今までいろいろなことをしてくれたのではないですか。でも、自分がやってあげていると思っていると、してくれたことに気づけないのかもしれませんね」
「確かにそうかもしれません」
「相手に感じる問題は自分へのメッセージとしてとらえ、自分を変えると決心して実践すると、いつの間にか相手が変わってしまうことがあるようです」

この2人の友人から話を聞いたあと、父がやりたい治療法をいい悪いと判断せずに、精一杯サポートさせて頂こうと思いました。

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第2章 漢方薬とSODを摂ることにする

家族で治療法を探す

父が抗がん剤治療を受けると決めたので、兄弟3人で抗がん剤の副作用を抑える治療と、抗がん剤と平行してできる治療法を調べることにしました。

はじめに、妹がインターネットで情報を調べて送ってきました。 「すい臓がんは転移再発しやすく根治しにくいらしい・・・。抗がん剤だけでなく、漢方薬と併用で阻止するといいみたい」と言って、漢方薬でがんの治療をしているクリニックのHPを送ってくれました。

そのクリニックでは、患者が使っている抗がん剤に合わせた漢方薬の処方をしてくれるとのことでした。父に話をすると乗り気だったので、さっそく訪ねていきました。

クリニックにて

診察室に入ると福田先生がおられました。今までの病気の状態を話したあと、診察して漢方薬を処方してくれました。

「この漢方薬は19種類の生薬の組み合わせです。生薬は煎じて2~3回に分けて服用します。薬は、胃腸の状態を良くして、食欲、体力、免疫力を高める六君子湯をベースにしています。さらに食欲増進や滋養強壮効果のある生薬。体力、免疫力を高める生薬。抗がん作用のある生薬(白花蛇舌草)などを組み合わせています」と説明してくれました。

通常漢方薬は、体の中の気、血液、体液、内臓等に、どのように働くかを見ていきます。しかし福田先生は、「これは抗がん作用がある、これは抗がん剤の副作用を抑えてくれる」とがんの治療に合わせて説明してくれました。

治療を受ける判断は自分で決める

「抗がん剤治療の主治医に、漢方薬についてたずねてみると、『漢方薬は間質性肺炎になるリスクがあるのですすめられない』と言われたのですが、先生はどう思われますか」 「確かに漢方薬を飲んで間質性肺炎になる方は、10万人に4人はいます。しかし、若林さんが使われるジェムザールという抗がん剤のほうが、間質性肺炎になるリスクが高いというデータがあります」
「では、どうして漢方薬はリスクがあるのですすめられない、と言われたのでしょうか」
「それは、漢方薬のことを十分研究されていないからではないでしょうか」とのことでした。

家に帰って、父が使うジェムザールという抗がん剤を調べると、間質性肺炎の発生頻度は1.5%、10万人に対して1500人になります。
   次に漢方薬を調べると、間質性肺炎の発生頻度は0.004%、10万人に対して4人になります。
   統計的に見ると、ジェムザールという抗がん剤のほうが、漢方薬より300倍以上の間質性肺炎の発生頻度があります。

西洋医学の医師でも「免疫療法」の先生方は、漢方薬は抗がん剤の副作用を抑えて免疫力を高めてくれるので、がん治療にはいいですよと言われていました。
   そのように、一つの治療法に対して、お医者さんによって意見が違うことがよくありました。そこで治療を受けるかどうかの判断は、ちゃんと調べて事実を把握した上で、自ら決めていくことが大切だと思いました。

SODもとることにする

そのクリニックのホームページには、サプリメントを使った補完治療の提案もありました。そこで、自分が使っている抗酸化作用があり活性酸素の働きを抑えてくれるサプリメントが、抗がん剤の副作用に対して有効ではないかと思いました。
   それは、生薬を特殊な製法で加工したサプリメントで、Super Oxide Dismutase略称はSOD様作用食品と呼ばれ、それを開発した土佐清水病院では、抗がん剤の代わりにがんの患者さんに使われています。

ただ、抗がん剤は活性酸素の作用でがんをたたきます。そこで、「SOD様作用食品を摂って活性酸素を抑えてしまうと、抗がん剤の効果が低下しませんか?」と質問すると、「サプリメントとして口からとる程度では、抗がん剤の効果が薄れるということはありません。逆に抗酸化作用のあるものを取ることによって、抗がん剤の副作用が抑えられるのでいいと思いますと」言われます。
   それを聞いて父は、「それではSODも摂っていこう」となりました。

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第3章 免疫療法を受けることにする

妹の父に対する思い

父は、抗がん剤治療の副作用を抑えるための治療法が、2つ見つかったことに満足していました。しかし、妹は満足せずにどんどん調べていき、次のようなメールがきました。

ほとんどのすい臓がんは進行した段階で発見されるので、手術ができずに1年以内にほぼ死亡。運良く初期のうちに発見して手術ができても、ほとんどが再発して5年生存率は5%なんだって・・・。
   「免疫療法」と抗がん剤と併用すると、生存期間が1年くらい伸びるみたい。抗がん剤だけで治療するよりもはるかにいいらしい。いずれにしても気持ちの準備期間が短すぎてつらすぎるわ・・・。
お父さんは情報が乏しくて楽観視しすぎている。でも現状を知ったら、もっと最新の医療を受けて、せめて半年か1年は長く生きたいんじゃないだろうか・・・。普通に抗がん剤をやったのでは13ヶ月。それじゃあまりにも無念なんじゃないかと思う。わたしも・・・

なかなか首を縦に振ってくれない

妹が探してきた「免疫療法」について父に話をすると、「抗がん剤の他に、漢方薬とSOD様作用食品の3つの治療をしているからもう十分だ」と言います。父に「もし長生きしたいのであれば、可能性のあることをやるといいかも」と話しても、なかなか首を縦に振ってくれません。

どうしたら免疫療法に関心を持ってくれるのか、と考えてもいいアイデアは浮かびません。そこで妹に事情を話すと、お父さんに話をしに行くとのこと・・・。

思いやりを持って接することの大切さ

次の日に、妹が父と話をしましたが、父は一度こうと決めたら簡単には曲げません。妹も父の性格をよく知っているので、これ以上言っても無駄だと思ったのか黙ってしまいました。
   父はがんになってから腹痛を訴えることがよくあり、そのときもつらそうにしていました。すると妹が「お父さん背中をさすってあげようか」と言って、背中のマッサージをはじめると、父は嬉しそうにしています。妹は優しく言葉をかけながら、「お父さん長生きしてね」という思いやりの気持ちで、背中をさすっているのが伝わってきました。

父ががんと診断されてから、私は週に何回か東洋医学の治療をしていました。しかし、妹の姿を見てハッとしました。私は病気を見て、病人を見ていなかったのではないかと思ったからです。妹がマッサージを終えて父に「免疫療法」の話をすると、あれだけ頑固だった父が、「じゃあやってみるか」と言いました。
   それを見て私は、今まで思いやりを持たずに、「これだけやっているのに、なんでわかってくれないんだ」と上から下目線で話をしていたので、父に伝わらなかったのではないかと気づきました。

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第4章 がんの原因は?

がんの原因は?

がんの告知を受けたとき主治医に、「がんの原因は何ですか?」と質問すると、「がんは生活習慣病なので、タバコ、肉、油などが原因として考えられます」と言われました。そして、いろいろと調べていくうちに、「健康科学」(津田謹輔医学博士、京都大学教授)という本に出合いました。
   その中に「疫学分析にもとづくがんの原因」という説明がありました。その比率は、①食事35%②タバコ30%③感染10%④生殖および性7%⑤職業4%⑥アルコール3%⑦環境汚染2%とのことでした。

津田教授は次のように言われています。
   明治、大正、昭和初期まで日本人の死因の多くは、結核を代表とする感染症でした(胃腸炎、肺炎等)。感染症はいわば死ぬか治るかの病気です。患者に出来ることといえば、栄養のあるものを食べて安静にすることで、医者まかせの医療の時代でした。その後、日本人の栄養状態や衛生環境の改善、そして抗生物質の発見により感染症による死亡は減少しました。

感染症にかわって増えてきたのが、脳や心臓の動脈硬化症、悪性腫瘍(がん)でなくなる人が増加してきました。これらの生活習慣病が感染症と異なるのは、完治することがないということです。つまり、病気をもった生活が続くということです。それは、医者まかせではなく、患者本人が病気を理解し、病気と付き合う必要があります。患者の立場から考えると、病気を治すのではなく、病気と付き合うということになります。これは大きな変化です。

現在、日本人の約30%、およそ3人に1人ががんでなくなっています。
   がんと環境に関して次のような事実もあります。海外に移住した日本人は、ほとんどの部位のがんで日本人従来の傾向を残しながらも、次第に移住国のがんのパターンに近づいていくといわれています。このことも、発がんには、環境因子が重要であることを示唆しています。

たとえば、日本人には胃がんが多く、欧米人には大腸がんが多いけれども、ハワイやカリフォルニアに住む日系2世、3世になると大腸がん型になるといわれています。また最近では、日本人でも胃がんが減り、大腸がんが多くなりつつあります。これらの事実から、がんは環境因子、とりわけ食習慣の変化と関連が深いと考えられます。

父の食の歴史

父は昭和6年生まれです。中学生の頃に戦争で食糧難になり、「食べたいものを十分食べられなかった」という思いがあり、大人になってからは美味しいものをたくさん食べるようになっていました。そのような父に、うまみのある肉や油を減らせ、というのはどだい無理な話です。
   長年高血圧を患い、10年ほど前に心臓発作を起こしてから、塩分、肉、油は、動脈硬化の原因になるので控えるようにと言われても、一向に変える様子はありませんでした・・・。

77才のときには脳梗塞で入院しました。結婚式に行って、飲み過ぎ食べ過ぎて家に帰って来ると、足を引きずり、腕がしびれ、ろれつが回りません。母が心配して電話してきたので症状を聞くと、初期の脳梗塞の症状のように感じました。「長生きしたかったらすぐ病院に行ったほうがいい」と説得して検査を受けると、脳梗塞が発見されて即入院になりました。

次の日に主治医から、「延髄に梗塞が見つかったが、運良く小さな梗塞なので後遺症はない」と説明がありました。
   先生に「脳梗塞の原因は何ですか」とたずねると、「動脈硬化が原因です。動脈硬化を引き起こす原因になるのは、タバコ、塩分のとりすぎ、肉や油などの美味しいものの食べ過ぎなどです」と言われました。

食事療法を実践するようになる

1年後、新たな問題が発生しました。老年科の主治医から、「心臓から血液を上半身に流す大きな動脈にこぶがあり(弓部大動脈瘤)いつ破裂してもおかしくありません。破裂したら即死です。2年後に破裂するリスクは30%です。それを予防するには、タバコ、塩、肉、油を控えてください」と言われて、さすがの父も食生活を変える決意をしました。それを受けて、母は調味料を減塩のものに変え、家では肉料理をほとんど作らなくなりました。

それでも、あるとき中性脂肪の数値が基準値の約3倍に増え、先生から「どうしたらこんなに増えるのかわかりません。これからは会合等で外食するとき、肉や油の多い食事が出てきたら半分だけ食べ、残りの半分は勇気を持って残してして下さい。今にも動脈が破裂して、死んでもおかしくない状態なのですよ」と厳しく言われました。

料理を工夫する

がんと宣告されてからは、坑酸化作用のある食品がいいとのことで、母は野菜を中心のメニューを作リはじめました。病院の先生から「油とお肉はよくない」と言われてからは、ほとんど食べなくなりました。会合に行っても「今日は半分残して来たぞ」とか「今日はステーキが出たけど4分の1だけ食べて、残りは隣の人にあげてきた」と言います。

極端に食生活を変えるのはストレスになるので、調理師の免許を持っている弟が、いろいろと工夫をしてくれました。
   家族が協力していろいろと試行錯誤しながら、父の食生活が少しずつ変化していきました。そのとき、「がんは医者まかせではなく、患者本人が病気を理解し、病気と付き合う必要があります」という津田教授の言葉を思い出しました。

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第5章 抗がん剤治療を始める

抗がん剤って大丈夫なの

父は、抗がん剤治療のために4週間入院することになりました。病室は2人部屋で、隣のベッドは肝臓がんの方でした。その方がおっしゃるには、「抗がん剤治療を受けたが白血球の数値が下がってしまい、抗がん剤治療ができなくなってしまった。医師からはもう打つ手がないと言われた。食事も食べられなくなり、今は点滴で栄養補給している」とのことでした。

また開業医の友人に、「抗がん剤治療についてどのように思いますか」とたずねると、「私は自分ががんになっても抗がん剤治療はしない。データを見ると抗がん剤治療の治癒率は低いので、あまり合理的な治療とは思えないし、抗がん剤は正常細胞も攻撃するので、免疫力を落として体にダメージを与えるからやらない」と言っていました。

抗がん剤の本質とは

そこで、抗がん剤の本質を追究することが大切だと思い、信頼している方を訪ねていきました。父のがんの状態を説明すると、必要な情報を数値化して伝えてくれました。
   父のがん細胞自体の歪みは〇〇%、がん治療に使う抗がん剤の歪みは〇〇%。そして、この2つの歪みの割合を引いた〇〇%が、がん細胞が正常化する割合になる、とのことでした。つまり、がん細胞の歪みより、抗がん剤の歪みのほうがパーセンテージが低かったということです。

それまで、抗がん剤は「よくないもの」だと思っていました。それはがん細胞を殺す、という不調和な意識で正常細胞まで殺し、エネルギー的にもマイナスだからです。しかし、「抗ガン剤で歪みが正常化する」と聞いて唖然としました。

また、抗がん剤にある装置を使うと歪みが減り、がん細胞がより正常化に向かうとのことでした。そこで父の抗がん剤治療のときには、抗がん剤の点滴に装置をセットするために、一緒に病院に行きました。末期がんから生還した友人が「抗がん剤に装置をセットするときには、『これは父のお守りです』と伝えたら受け入れてくれますよ」とアドバイスしてくれたからです。
   治療室で看護師さんにそう言うと、問題なく受け入れてくれました。私が病院に行けないときには、看護師さんが父に「今日はお守りをつけなくていいのですか?」と言って、抗がん剤に装置をセットしてくれたそうです。

運良く副作用が出なかった

抗がん剤治療は、週に1回を3週続けて4週目はお休みです。初めの4週間は、抗がん剤の副作用を見るために入院治療をしました。大きな問題がなかったので5週目からは通院治療になりました。

抗がん剤治療をする前に血液検査をして、白血球と好中球の数値を調べます。5週目からは前回の抗がん剤治療の副作用で、白血球と好中球の数値が下がっていないかを確認してから治療します。
   この数値が下がってしまうと、感染症にかかりやすくなります。そうなると、抗がん剤の投与方法や間隔などを調整するとのことでした。

父と同じ病棟のがんの患者さんで、この数値が下がって治療ができなくなった方を何人か見てきました。ですから、白血球の数値だけは下がってほしくないと思っていたのですが、幸運なことに下がりませんでした。

2ヶ月目に縮小する

抗がん剤治療を2ヶ月受けたところで、治療の効果を評価するためにCTの検査をしました。すると、がんが10%縮小していることがわかりました。
   主治医からは、「医学的には30%以上小さくならないと、縮小したとは評価しません。でも小さくなったのはいいことです」と言われました。

父に「10%縮小したと言われてどう思った?」と聞くと「すい臓がんは抗がん剤で治療しても難しいと聞いていたのに、2ヶ月で10パーセントも縮小したのでこれはいいぞと思った」とのことでした。これは小さな一歩ですが、父の心に与える影響を考えると大きな一歩になると思いました。

その頃、食欲が出て来て体重が2~3キロ増えました。抗がん剤の副作用で食欲がなくなると説明を受けていたのに、逆に食欲が出てきて太るとは、さすがに父です。

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第6章 免疫療法のすてきな医師たち

免疫療法とは

その頃、免疫療法も始めることにしました。免疫療法とは患者の血液から、がんを攻撃する特定の細胞を取り出して、試験管の中で培養して数を増やします。その後培養した細胞を体に戻して、がんだけを狙い撃ちにするという治療法です。
   抗がん剤が効かなかったり、副作用で続けられなくなって、最後の頼みの綱として治療を受ける人もいます。または父のように、抗がん剤や放射線治療と平行して治療を受ける人もいます。
   抗がん剤治療や放射線治療をして効果が出ないときに、それらの患者の約30パーセントに効果がある(縮小または停止)、というデータがパンフレットに載っていました。

免疫療法のすてきな先生

この章で免疫療法を取り上げたのは、免疫療法で出会ったお医者さんのあり方が、すてきな方が多かったからです。個人的には、病気になったらこういう先生に治療してもらいたいと思う方々です。

高椅先生はソフトな物腰ですが、物事を大きくとらえてわかりやすく説明してくれます。はじめて診察を受けたときには、父の病歴を見るなり、「若林さんは今まで生野菜を食べてこなかったでしょう。がんには抗酸化作用のある食べ物が大切ですが、若林さんの顔には抗酸化作用のある生野菜を食べてこなかったと書いてありますよ」と言われて父は呆然としていました。

「食事で気をつけてほしいのは、油に火を通したもの。例えば、天ぷらやトンカツなどは、活性酸素が大量に発生するのでがんにはよくありません。あとは、お肉も活性酸素を発生するのでよくありません」この言葉にも父は納得していました。

これは本当にすばらしい

抗がん剤治療を始めて2ヶ月後に検査があり、がんが10%縮小したという結果が出ました。主治医にその評価について質問すると、「医学的には30%以上小さくならないと、縮小したとは評価しません」と言われました。しかし、高橋先生に「がんが10%縮小した」と話をしたときの反応は、主治医とはぜんぜん違うものでした。

「先日のCTスキャナーの検査で、がんの大きさが10%縮小したという結果が出ました」
   「若林さんが今使っている抗がん剤でがんが縮小する割合は、10人に1人しかいません。10人に9人は縮小しないのですよ。ですから、がんが10%縮小したのはすばらしいらしいことです」と満面の笑みを浮かべながら、すばらしいことが起きたと確信させるように話をしてくれました。

父はその言葉を聞いてすっかり喜んで、「先生これでがんは治ってしまいそうですねえ」と言うと、「そうですねえ、抗がん剤でこれだけいい結果が出ていますよねえ。3ヶ月後には免疫療法の効果が現れてくるのでこれからが楽しみですねえ。しかし、抗がん剤でこんなに結果が出るとは本当にすばらしい」

物事は伝え方によって全く変わる

あるときの高橋先生と父との会話です。
「若林さん、GI値(Glycemic Index)という名前を聞いたことはありますか」
「いいえ、聞いたことはありません」
「それは血糖値を上げる食べ物の数値です。GI値が高い食べ物ほど血糖値を上げてしまいます。それを下げるために、インスリンというホルモンがたくさんすい臓から分泌されます。それが続くとすい臓に負担がかかってよくありません」
「ではどういう食べ物のGI値が高くて、何が低いのですか」
「GI値が高くて若林さんのがんによくないものは、白砂糖、白米、白いパン、白いうどん、白いパスタなどの精白したものです。逆にGI値が低くて若林さんのがんにいいものは、玄米、全粒粉のパン、うどん、パスタなどです」
「それでは、主食は精白しないものを食べるといいのですか」
「はい、そうです」
「そのほかに気をつけるといいことはありますか」
「前回お伝えしましたように、なるべくお肉を減らして野菜を食べて下さい」
「はいわかりました」

父は先生が説明してくれた、「血糖値を上げる食べ物」が大好きで毎日食べていました。そこで父に、「先生が話していたことをどう思う」と聞くと、「あのように説明されると何も言えない。これからは言われた通りにやってみようと思う」と言うのでびっくりしました。

父のがんは職業病?

母が父の免疫療法の治療に付き添ったときのことです。帰ってくるなり母が、「高橋先生は面白いわねえ」と言うので、何があったのか尋ねてみました。

「先生から『若林さんはどういう仕事をされてきたのですか』と聞かれて、お父さんが『精米機屋をやっていました』と答えたの。そうしたら『では、このがんは職業病ですねえ』と言われたのよ」
「へえー、でもどうして職業病なの」
「高橋先生の話では、白いご飯ばかり食べていたので血糖値が上がってしまった。血糖値を抑えるために、すい臓からインスリンがたくさん分泌するので、すい臓が疲れてしまった。それは、長年かけて病気が発病する素地を作って来たようなものです、と言われるのよ」
「そう言われて、お父さんの反応はどうだった」
「お父さんは、『あの先生には負けたよ。ズバズバ言うけど、科学的に話してくるので納得させられてしまう。そして言われることは、今まで自分が正しいと思ってやってきたことが違うということばかりだ。あの先生にはまいっちゃうなあ』と言っていたわ」
「さすがのお父さんも形無しだね」

初対面で見破られる

もう一人印象的だった先生は、女性で安定感のある感じの方でした。この先生は知識が豊富で、立て板に水のようにどんどん言葉が出て来ます。私がどんどん質問していくと、的確な答えが返ってくるので感心していました。診察が終わって退室するときに、先生から呼び止められました。

「お父さんは物事を大きくとらえて、小さなことにこだわりませんよね。息子さんは、何事もきちっとしないと気が済まない性格のようですね。免疫療法を受けるときには、全体を見てデータに一喜一憂してはダメなのです。どちらかというと、お父さんのように大きくかまえて、細かいことにこだわらない方がいいのですよ。あなたは細かいことが気になって、きちっとしないと気がすまないでしょう」と言わるので、この先生には負けたなあと思いました。

免疫療法で治療されている先生方のお話を聞いていると、普通のお医者さんとは何かが違う気がしました。すい臓という臓器だけに焦点を当てるのではなく、病気を体全体の免疫との関係性でとらえているので、病気に対する見方がより広く深い感じがしました。

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第7章 波動測定と「そうとうよくなりますよ」

波動測定を紹介される

ある病気の研究会に行くと友人が話しかけてきました。
「若林さんのお父さんのために、波動測定と波動水を作ってもらうといいかもしれないよ」
「それはどういうものなの」
「コンピューターを使って、その人のエネルギーの状態を調べて数値化するんだよ。その結果をもとに、その人の体のエネルギーを調整する波動水を作ってもらえるから、それを飲むといいと思うよ」と言われました。

さっそく父に波動水の話をすると、「お前の持ってくる話はいつも怪しいけど、結果としてがんがよくなっているので行ってみるか」とのことでした。

波動測定のクリニックにて

数日後に紹介されたクリニックに行きました。中村先生は落ちついた優しい感じの先生で、ウイルス学の研究をされていました。現在は、量子共鳴解析装置QRS(Quantum Resonance Spectrometer)という測定装置を使って、波動測定をして波動水も作られています。
   QRSは、コンピューターに接続された、みかん箱半分ぐらいの金属製の機械です。先生はコードを打ち込んで数値を計っていきます。「ピユー、ピュー」と音がして、正しい数値の所で音の質が変わります。最高がプラス21、最低がマイナス21というのが、その機械で解析する数値でした。
   先生に、抗がん剤治療でがんが10%小さくなった、というCTスキャナーの結果を伝えたあとで、父の体と心のエネルギーの状態についていろいろと調べてもらいました。

そうとうよくなりますよ

はじめに「すい臓がん」のコードをコンピューターに打ち込んで調べると、マイナス6でした。「進行性のすい臓がんで、マイナス6という数字は素晴らしい。通常マイナス20ぐらいまで落ちていることもあります。それなのにマイナス6とはいいですねえ。これはそうとうよくなりますよ」と言われました。
   次は「免疫」のコードを打ち込んで調べると、マイナス6でした。「がんの患者さんの場合、免疫はもっとマイナスの数字が出てもおかしくないのに、マイナス6はいいですねえ。これは先行き明るいですよ」とのこと。

すると父の顔がパーっと明るくなり、「先生そんなにいいのですか」とたずねると、「進行性のすい臓がんで、ステージ3の方にしては珍しくいい状態です。このままいけばそうとうよくなりますよ」と言われます。

結局、300項目以上調べてもらい、体や心のエネルギーを調整する波動水も作っていただきました。面白かったのは、「ストレス」がマイナス4だったことです。
   父は自分では、「私はストレスを感じたことはない」と言います。しかし、短気でしょっちゅうイライラしているので、かなりストレスがあるのではないかと思っていました。ですからマイナス4と出て、「やっぱり機械はだませないね」と言うと、父は苦笑していました。

すっかり信用する

一通り検査を終えると、「せっかくですから超音波の検査もやってみましょうか」と言われました。今度は、超音波の機械のスクリーンを見ながら首の血管を検査して、「この白いのは動脈硬化で石灰化した血管で、その影響で血管が細くなっています」と説明してくれます。次にお腹を検査して、「これはすい臓で、この影ががんらしい・・・」と説明してくれ、予定時間をオーバーして、きめ細かく診察しながら話をしてくれました・・・。

父はクリニックへ来る前は、波動水について説明しても疑心暗鬼で、「そんな水を飲んでもがんに効くものかねえ」と言っていました。しかし、帰るころにはすっかり先生のことを信頼して、「波動水は1日にどれぐらい飲んだらいいのですか」「どんな水で薄めたらいいのですか」と自ら聞いているので笑ってしまいました。

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第8章 体調が悪くなる

その後の病状

がんと宣告されてから15ヶ月目に、父の体調が悪くなりました。むかむかして食欲がなくなり、1ヶ月で3キロほど体重が減ったので、主治医に相談すると以下のように言われました。

CTの検査の結果を見る限りがんは大きくなってきていないので、抗がん剤の副作用か、年齢による体力の低下が原因ではないかといます。体調がこれ以上悪くなり、昼間半分以上寝ているぐらい(父は3~4時間ぐらい寝ていました)具合が悪くなるのなら、抗がん剤をやめることも一つの選択です。抗がん剤をやめるとがんが急激に大きくなるリスクもあります。
   普通の患者さんならすでに亡くなっているか、体調が悪くなって寝たきりになる人が多いのです。今まで元気だったことが奇跡的で、これから体調が悪くなるのは避けられません。これからは、これを食べるとがんによくない、と節制するだけでなく、自分が食べたいものを食べると、ストレスを感じなくていいかもしれません。

先生のお話は、「これ以上は医学の力でやりようがない」ということのようでした。しかし、父も家族も「そう言われてもあきらめずに治癒を目指していこう」ということで一致しました。

高橋先生との会話

少し経ってから、免疫療法のクリニックに血液検査の結果を聞きに行き、病院での会話を伝えると以下のように言われました。
   「末期のすい臓がんで抗がん剤を15ヶ月も打っている人はあまりいないので、もうデータがありません。今回の血液検査では、通常検査しない免疫機能まで検査しました。その結果は、がんを攻撃するT細胞やNK細胞の数値が、1年前より上がっています。それは普通では考えられないことです。T細胞やNK細胞は、ここでやっている免疫療法とは関係のない数値なので、今までやられてきたことの効果が出ているかと思われます」
「何が効いていると思われますか?」
「そうですねえ、考えられるのはエネルギー調整装置かSODのどちらかではないでしょうか。現在の医学の常識では、抗がん剤を1年半も打ち続けていて、免疫力が上がるということは考えられません。もう科学ではわからない世界に入っているようですね」と言われました。

体力が低下してくる

がんと宣告されてから18ヶ月目、2012年の1月ごろから食欲がなくなり、下痢が続いて2ヶ月で体重8キロ減ってしまいました。ガンになる前には66キロあった体重が46キロになってしまいました。検査ではがんは大きくなっていないので、がんのために膵液が出なくなって消化酵素が出ないことと関係しているようです。

それからはだんだん食が細っていき、固形物が食べられなくなってきて、これからどうなってしまうのだろうと不安になってきました。

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第9章 抗がん剤を中止する

苦しいときの赤ひげ堂頼み

19ヶ月目の2012年2月になると、抗がん剤治療で病院に行っても、体調不良で治療を中止することが2回ほど続きました。
   このころからベッドに横になっていることが多くなりました。やせてしまい、目が見えないので歩みも遅く、体力が落ちたなあと思うようになりました。

2月末に抗がん剤治療のために病院に行きました。すると先生から、「これ以上抗がん剤治療を続けても体力を落としてしまいます。すると逆効果になってしまうので、抗がん剤治療は中止したほうがいい」と言われました。

ふと思いついて、自分の師匠に相談すれば何とかなるのではないかと思いました。父は20年近く赤ひげ堂に通院しているので、竹内院長を信頼していました。
   竹内院長に父の状態を話すと、末期がんが3ヶ月で治ってしまった方のお話をしてくれました。その話を聞いて何とかなるのではないかと思って、治療をお願いしました。やることは、免疫を上げる飲み物と消化酵素、貧血を抑えるサプリメント、消化器の働きを上げる漢方を飲みながら、遠隔治療で気を送ってもらうことです。

母の負担が増える

その頃父は、鉄火巻を1つ食べただけで吐いてしまい、その数日後には卵豆腐を食べた後に吐いて、少量の血も混じっていました。この状態が続いたらどうなってしまうのだろう、と不安が襲ってきました。

その頃、緑内障が悪化して目が見えなくなってきました。トイレに行くのにも廊下の壁をつたって行かないといけなくなりました。あるとき新聞を取りに行き、玄関に落下しそうになりました。その場に私がいたのでよかったのですが、もし落下したら大けがをしてしまいます。
   それからは、食事やお風呂やトイレに行くときは、母が付き添って行くことになりました。夜中にトイレに何回か起きるのですが、それも母が付き添っています。

あるとき妹から、「お母さんが大変だから兄弟でできることは手伝おう」というメールが来ました。妹は父の体調が落ちてから、週1回仕事の休みの日には実家に行き、母の代わりに料理をして父をマッサージしていました。またすい臓がんの最新の治療法を探して、よさそうなものがあると「これはどう?」と情報を送ってくれます。

今までは病院に通っていましたが、通院するのが大変なので、区の在宅介護支援センターにお願いして、医師と看護師さんに往診に来てもらうことにしました。

命を懸けて生きるとは何かを教えてくれている

2月の終わりごろ食欲がなくなり、ほとんど食事を受け付けなくなったときがありました。少し食べると吐いてしまい、父は「おれはもうだめだ」と言っていました。しかし、1ヶ月ほどたつと食欲が戻ってきて、3食おかゆやモロヘイヤそばを食べられるようになってきました。

身の回りのことは、目が不自由なのにほとんど自分でできます。頭脳は明晰で、私や母が会社のことでわからないことがあると話に割って入り、「お前たちはこんなこともわからないのか、それはこうだ。末期がんの患者をこき使うなよ。これじゃいつまでたっても死ねないじゃないか」と冗談を飛ばします。
   一時はどうなってしまうのかと心配していたのですが、また回復の兆しが見えてきました。

4月上旬には体重が43キロになってしまい、1日中寝ていることが多くなりました。食欲は少し出てきましたが、いかんせん食べる量が少ない・・・。しかし、気持ちは前向きで、食欲がなくても赤ひげ堂からの薬や漢方を一生懸命飲んでいます。
   また、「生きるために食べているんだ」と言っておかゆを食べています。グルメな父にとっては味気ない食事だと思うのですが、文句一つ言わずに食べている姿には感心させられました。

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第10章 病気は家族へのメッセージ

妹からのメール

そのころ、妹が父の言ったことをメールしてくれました。

「俺はがんになって目が見えなくなったときは、もう終わりなんだって恐怖だった。はっきり言って病院の先生に見限られたんだよ。だけどな、免疫療法や赤ひげ堂の先生はちがうし、家族の皆も諦めないでいろいろ尽くしてくれるのが、俺にとって精神的に大きな救いとなった。そして感謝して達観したんだ。一番幸せな時期を過ごせていると思う」って。

体調が悪くなる

7月中旬に体調が悪くなり、ほとんど寝たきりの状態になりました。8月になると起き上がることもできなくなり、トイレに行けないのでオムツをすることになりました。自分1人では生活できないので、母がつきっきりで面倒を見ています。子供たちが交代で泊まりに来ても母の負担が大きいので、ヘルパーさんを頼むことにしました。

8月10日に、ヘルパーさんが夜間の父の介護の契約をしに来ました。そのとき妹は、隣の部屋で父をマッサージしていました。お腹がすいたと言ってお粥を食べた後、気持ちよさそうに妹のマッサージを受けていました。すると、気持ちよくて寝てしまったのか静かになりました。少したって妹が異変に気づいて父を見たところ、もう息が止まっていました。

母は父の呼吸と脈がないことを確認して、すぐに訪問介護の看護師さんとお医者さんを呼びましたが、既になくなっていました。父は「最後は家がいい」と言っていましたが、希望通り家族に見守られながら、息を引き取っていきました。
   その日の夜は弟と父を囲んで寝ました。数日間、家に遺体を安置してから葬式をしました。

ガンは家族へのメッセージ

葬式が終わった後に、尊敬している方にお会いする機会がありました。その方にも、父のがんについてアドバイスを頂いていたので、父が亡くなったことを報告させていただきました。すると、父の病気のメッセージについて話をしてくれました。

病気のメッセージは、本人より家族への割合が多い。父のがんのメッセージは、父よりも私への割合のほうが多い、とのことでした。それを聞いて愕然としました。もしそうであれば、父のがんのメッセージを私が真剣に取り組んでいれば、父はがんである必要がなくなっていた可能性もあるからです。今までずっと、父は食べたい放題食べて運動もしない、という不健康な生活をした結果、がんになってしまったと思っていました。

父ががんと診断されたときには、「病気の本質を見つめて、自分のエゴを減らそうと思いました。
   しかし、病気の父を目の前にすると、がんという現象を治すことを優先してしまい、メッセージには気づけませんでした。
   1番のメッセージは「自分が正しい」というエゴだと思いました。しかし、10年たってもなかなか改まらないので、この原稿を書きながらどうして変わらないのだろう?と思っていました。すると、「真剣さが足りない」「キチンとプログラムしていない」と感じました。
   今後は、日々最善を尽くして、気づいたことから実践していきたいと思います。

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